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牛久山口氏

今日知った歴史トリビアなのですが・・・


江戸時代に牛久藩(現在の茨城県牛久市)を治めていた山口氏は、大内氏の子孫だそうです。応永の乱で有名な大内義弘の次男を祖とし、山口の地名をとって山口氏と名乗り始めたそうです。大内氏の末裔が坂東のだだっ広い平野のど真ん中で大名をやっていたというのは、興味深い話です。


ところで、私は山口県地方の歴史に興味があるのですが、特に好きなのが大内氏です。毛利藩も維新を起こして日本の政治を変えたという点ですごいけれど、山口を本拠として西国一の大名となった大内氏もかなりダイナミックだと思います。
大内氏は、中国地方・九州地方などを中心に西国に広大な所領を有し、大陸や朝鮮と独自に貿易を行い、もう一方で中央の幕政へも一定の影響力を行使しました。この時代に、山口では大陸や京の影響を受けた独自の文化が花開きました。
大内氏のこのようなスケールの大きさは、きっと京から遠すぎず近すぎず、そして大陸へ近い山口を本拠地としたからこそ、実現できたのでしょう。
 
少々暴論になりますが、大内氏の成功は、現在の山口にとっても、何らかのヒントとなりうるのではないでしょうか?交通の便利な国土軸にありながら、大陸や朝鮮に限りなく近いという立地には、まだまだ多くの可能性が秘められていると思います。

コメント

今となっては・・・

歴史好きな私のイフ、もしも・・・。明治維新で東京を首都とせず、萩を首都としていたら、中国や韓国などのアジアを中心とした文化圏が出来てたかもと思うことあるんですよね。
下関でもいいけど。山口は第二首都。
いまのぎくしゃくした中・韓との関係を見る時、思ってしまうんですよね。

確かにそうなるとおもしろかったかもしれませんね。島国というものは、どこを見ても排他的な傾向があるようですが、中心都市の位置によって、大陸諸国家との精神的な距離は変わるように思います。日本の中心が、大陸からもっとも離れた東京にあることが、日本を大陸諸国家から遠ざけるひとつの要因として作用していることは確かでしょうね。

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プロフィール

suhobei

Author:suhobei
関東・関西で育ったものの、高校のころから両親の実家がある山口県に興味を持つようになり、2008年3月大学卒業をきっかけに山口県にIターン。他県出身者にしか分からない山口県の魅力、移住して良かったこと・苦労したことなどを中心に、山口県の話題を発信していきます!

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