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会津若松逍遥2

<飯盛山から>
飯盛山から鶴ヶ城方面

鶴ヶ城のあとは飯盛山に行きました。飯盛山は白虎隊のうち士中二番隊の一部が自決した場所で、隊士の墓があります。
白虎士中二番隊のうち19人が、飯盛山から城下が燃えている様子を見て、鶴ヶ城が燃えていると勘違いして、自刃したと伝えられています。上の写真で赤い丸に囲まれているのが鶴ヶ城です。たしかに、この距離なら、鶴ヶ城の手前に炎が上がってたりすれば、鶴ヶ城が焼けているように見えそうな気がします。
しかし、会津盆地は広いです。


 飯盛山に、ローマ市民贈呈の石柱がたっていました。イタリアのムッソリーニが白虎隊の精神をたたえて贈ったものだそうです。会津藩の犠牲者は「朝敵」とされていたはずで、日本との友好の証として、イタリアがそのようなものを贈ってくることはあまり考えられないと思われます。国家間の友好の証としてではないということは、きっと個人的にムッソリーニ本人が白虎隊のエピソードにいたく感銘を受けたからなのだろうなと思いました。駐日ドイツ大使も記念碑を寄贈したということですが、同じ理由でしょう。
 これらのことから、当時、白虎隊の精神と悲劇性は洋の東西を問わず、大きな関心の対象だったことがわかります。白虎隊の精神はどこか第二次大戦の神風と通じるようなところがあり、戦後には、盲目的で極端すぎるものとして一旦否定されましたが、しかしそういった中でも、命を捧げられることへの憧れがあったように思います。
 時は下って、「お国」「会社」などの分かりやすい帰属がなくなった現在、同一組織の中においても、多様な人が多様な目標に向かっており、こういった精神は遠い昔物語になりました。おそらく、現在の多くの人にとって、白虎隊は憧れではなく、悲劇の象徴にすぎないでしょう。私も、白虎隊のことを「かわいそう」と思いこそすれ、「立派だ」とは決して思いません。やはり19人にも、鶴ヶ城が焼けていようが生き残っていてほしかった。しかしそんな私ですら、この物語の中に「なぜか美しい」ものを見出しているような気がします。やはりこのエピソードは普遍的な含蓄のある話だと思います。


(2008/02/20付記:「白虎隊が自決した場所」などの、閲覧者に史実の誤解を招く表現を訂正済み。白虎隊のうち自決したのはごく一部。)

コメント

こちらでも恐縮ですが失礼します

まず、白虎隊ですが白虎隊事態悲劇でも何でもありません。
全体の80%が存命したので、現代人から見ると
むしろ「助かってよかったね」という部隊なのです。
飯盛山の士中2番隊ですが、明確な資料や証拠は残ってません。
むしろ、不審な点が多く、フィクションではないか
という言い分の方が濃厚のようですよ。
実は僕も会津観光をした事があるのですが
飯盛山から城までは相当距離がありますよね?
観光客の皆さんも「どこにあるの?」と探さないと
見つからないですし、また見つかったとして
「あれなの?」というほど見えない距離です。
この距離から城が落城したと断定するのは
無理があるのではないかと言われています。
僕も実際に自刃の地に立ってそう感じました。
他に士中二番隊には不審な点が数多くあるので
機会がありましたら、史実と観光史学・小説との
違いを勉強してみてください。

最後にですが、僕は福島県が嫌いで言ってるわけではなく
作家の商魂に煽られて、市民までもが小説や観光史学を
鵜呑みにして、現在の鹿児島・山口までを敵視する
といった恨の行為は福島の為にならないと思っています。

不快に感じましたらこのカキコと
前のカキコは削除してください。
せっかくの記事に反論する形になり
本当にすいませんでした。

「不快に感じ」たなんてとんでもございません。ブログは一人の考え方が色濃く反映されるものなので、こうやってコメント欄で色んな考え方が提供されることは歓迎されるべきことです。
コメント削除の方針として、閲覧者や特定者に危害を与えるものを削除することにしているので、そういったものにあたらない反論・意見などは大歓迎ですし、削除はいたしません。

白虎隊のほとんどが存命したことはもちろん拝見したことがあったのですが、言葉が足らず、この記事を初めて読む人にとって、史実に誤解を生むような表現になってしまいました。お詫びして訂正いたします。私が触れたのは、士中二番隊の一部のことです。
落城誤認について、私は現場に行ってみて、中途半端な距離だからこそ誤認したものと思いました。少なくとも私でも城がどこなのかすぐわかったので、当時は建物ももっと少なかったですし、会津に住んでいた人ならなおさらわかるでしょうし、不審だとは思いませんでした。
しかし、士中二番隊唯一の生存者とされる飯沼貞吉にまつわる話がどこまで信憑性があるのかは、議論の対象にはなりえるでしょうね。
歴史を見るときに、完全に客観化することは不可能なので、史実を知った上で、互いの歴史観を知ろうと努めることが、相互理解という発展的な目標に向けて必要なのでしょうね。私は、小説的な見方も必ずしも間違っていないと思いますが、やはりそればっかりに依存してしまうのは危険だと思います。

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プロフィール

suhobei

Author:suhobei
関東・関西で育ったものの、高校のころから両親の実家がある山口県に興味を持つようになり、2008年3月大学卒業をきっかけに山口県にIターン。他県出身者にしか分からない山口県の魅力、移住して良かったこと・苦労したことなどを中心に、山口県の話題を発信していきます!

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