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世田谷松陰神社
- 2011/05/22
- 09:47
松陰神社に行ってきました。

「なんだか雰囲気が違うような?」と感じられた方もいらっしゃると思います。実は萩ではなく東京にある世田谷松陰神社に行ってきたのです。
東京の松陰神社は、吉田松陰の墓に隣接して1882年に創建されたもので、萩の松陰神社(1890年)より8年ほど古いそうです。
まず、社殿の豪華さに圧倒されました。明治維新から150年近くになる今でも、熱心な参拝客が絶えることがありません。いや、東日本が戦後以来の困難に直面しているからこそなのかもしれません。

境内には松下村塾もありますが、これは萩のものを模造して建てられたものです。

萩とほとんど同じ建物といっても、こういう木立の中にあるとずいぶん雰囲気が違うものです。
首都圏に住んでる方でも、ここにあれば気軽に見ることができますが、もし興味を持たれましたら、ぜひ萩まで行って実物を見てみてください。萩だと松下村塾の周りをぐるっと一周することができます。
松陰神社周辺は東京では人気のエリアで、おしゃれなカフェや雑貨屋が多く、ちょっとした散策にももってこいです。
山口の松下村塾を見たことがある人は特に、レプリカを見て山口が懐かしくなる特典付きです(笑)。
吉田松陰の墓もあるので、東京以外からでもわざわざ訪れる価値があります。
困難な時代にくじけることなく、萩の町から日本を列強に導いた吉田松陰に見習うべき点は、今の時代にあっても多いのではないでしょうか。
大きな地図で見る
<6月4日追記>
文中に「戦後以来の国難」と記しましたが、政治をめぐる状況については、まさに国難が続いていると言えます。幕末と比べると情報も物資も豊かな時代に、なぜ政治ができる人材がいなくなってしまったのでしょうか?
政治というものは本質的に、諸刃の剣です。一方には利益をもたらすが、もう一方には損害をもたらす。増税すると、一時的に財政赤字が減るが、景気後退により長期的に財政赤字が増えるかもしれない。原子力を推進すると、電力供給が増えるが、不慮の事故による放射能汚染の危険性が高まるかもしれない。鎖国をやめると、海外からの優れた技術を取り入れることができるが、植民地にされるかもしれない。
幕末の時代は、例えば長州と幕府が「尊王攘夷」をめぐって対立を続けたように、どちらの側にもどんな手段を使ってでも、自らの主張を貫き通す信念がありました。時には長州征伐のような武力衝突に発展しましたが、それぞれが「こうすれば日本は良くなる」という理想をもっていて、それを貫くことが政治につながったのです。
今の時代は、情報も物資も豊かで、スマートでバランスがとれていることが何よりも大切とされています。あっちもこっちも重要で、何かを犠牲にすることは極力避けようとします。結果、確固とした信念をもった政治家を失ってしまったのではないでしょうか?
少しでも角が立つ者は舞台から引きずりおろされ、結局角がなく、主張がないものだけが残る。これが政治の現状だと思います。理想論ばかりで実現性のある政策を打ち出せない山口県出身の首相、大した政策を主張することもできないのに内閣不信任にまわる議員、私を含め政治家を批判するばかりの国民。今の時代は幕末のような「失うものが何もない時代」とは違いますが、国家の存在感が衰退し、数百年に一回の規模の災害が起き、国家の財政破綻が刻々と迫る今こそ、辺境の地から20代の若さで日本を明治維新に導いた吉田松陰に見習えるところがたくさんあると思います。

「なんだか雰囲気が違うような?」と感じられた方もいらっしゃると思います。実は萩ではなく東京にある世田谷松陰神社に行ってきたのです。
東京の松陰神社は、吉田松陰の墓に隣接して1882年に創建されたもので、萩の松陰神社(1890年)より8年ほど古いそうです。
まず、社殿の豪華さに圧倒されました。明治維新から150年近くになる今でも、熱心な参拝客が絶えることがありません。いや、東日本が戦後以来の困難に直面しているからこそなのかもしれません。

境内には松下村塾もありますが、これは萩のものを模造して建てられたものです。

萩とほとんど同じ建物といっても、こういう木立の中にあるとずいぶん雰囲気が違うものです。
首都圏に住んでる方でも、ここにあれば気軽に見ることができますが、もし興味を持たれましたら、ぜひ萩まで行って実物を見てみてください。萩だと松下村塾の周りをぐるっと一周することができます。
松陰神社周辺は東京では人気のエリアで、おしゃれなカフェや雑貨屋が多く、ちょっとした散策にももってこいです。
山口の松下村塾を見たことがある人は特に、レプリカを見て山口が懐かしくなる特典付きです(笑)。
吉田松陰の墓もあるので、東京以外からでもわざわざ訪れる価値があります。
困難な時代にくじけることなく、萩の町から日本を列強に導いた吉田松陰に見習うべき点は、今の時代にあっても多いのではないでしょうか。
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<6月4日追記>
文中に「戦後以来の国難」と記しましたが、政治をめぐる状況については、まさに国難が続いていると言えます。幕末と比べると情報も物資も豊かな時代に、なぜ政治ができる人材がいなくなってしまったのでしょうか?
政治というものは本質的に、諸刃の剣です。一方には利益をもたらすが、もう一方には損害をもたらす。増税すると、一時的に財政赤字が減るが、景気後退により長期的に財政赤字が増えるかもしれない。原子力を推進すると、電力供給が増えるが、不慮の事故による放射能汚染の危険性が高まるかもしれない。鎖国をやめると、海外からの優れた技術を取り入れることができるが、植民地にされるかもしれない。
幕末の時代は、例えば長州と幕府が「尊王攘夷」をめぐって対立を続けたように、どちらの側にもどんな手段を使ってでも、自らの主張を貫き通す信念がありました。時には長州征伐のような武力衝突に発展しましたが、それぞれが「こうすれば日本は良くなる」という理想をもっていて、それを貫くことが政治につながったのです。
今の時代は、情報も物資も豊かで、スマートでバランスがとれていることが何よりも大切とされています。あっちもこっちも重要で、何かを犠牲にすることは極力避けようとします。結果、確固とした信念をもった政治家を失ってしまったのではないでしょうか?
少しでも角が立つ者は舞台から引きずりおろされ、結局角がなく、主張がないものだけが残る。これが政治の現状だと思います。理想論ばかりで実現性のある政策を打ち出せない山口県出身の首相、大した政策を主張することもできないのに内閣不信任にまわる議員、私を含め政治家を批判するばかりの国民。今の時代は幕末のような「失うものが何もない時代」とは違いますが、国家の存在感が衰退し、数百年に一回の規模の災害が起き、国家の財政破綻が刻々と迫る今こそ、辺境の地から20代の若さで日本を明治維新に導いた吉田松陰に見習えるところがたくさんあると思います。