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萩逍遥
- 2005/12/30
- 00:24
今日は、萩を歩き回りました。
最近、萩が気になってきていたので、久しぶりに歩き回ってみて、すごく楽しかったです!
まず、行きつけのお店で、カプチーノ(カカオ)を飲み、トーストを食べる。
その後、田床山へ。今はあまり見られないアカマツ(山口県木に指定されている)がすごくよく残っている。そして、見晴らしがとってもよかったです。
萩の見晴らしとしては、指月山(萩城跡)にのぼったことがあるのですが、指月山は、木が視界をさえぎってしまって、せっかくのぼったのに残念だったのに対し、田床山の方は、萩の町や周辺の山々、そして日本海、島々などすべて見えて、すばらしかったです。
そのあと、浜崎にある御船蔵(屋根がある御船蔵としては日本唯一)を起点として、浜崎を歩き始めました。
萩というと、城下町・武家屋敷というイメージが強いですが、浜崎は町人の町また港町として重要伝統的建造物群保存地区に指定されているのです。というわけで、萩の別の顔が見えそうなので、前から行ってみたかった場所だったのです。
行ってみると、日本海沿いの小さな港町という感じでした。たとえば、僕が行ったことある町で言えば、 山口県長門市仙崎や、兵庫県香美町香住のような風情。特に、海上安全の住吉大社とか、日本海側各地にあるのでしょうね。
松本川の河口はすごく印象に残りました。色が緑色なんですよね。そして海は群青色。切り立つ崖。なんかこれこそ冬の晴れた日本海という感じでよいです。
そして、松本川沿いの港町の風景も、すごく漁村の味があってよかった。中でも「鶴江の渡し」は、よい風情をかもし出しています。
<鶴江の渡し>

そして、寺町のほうに向かった。寺町って、いろんな城下町にあるけど、なかなか観光しにくいです。寺が一帯にいっぱいあるだけで、一つ一つのお寺には入りづらい。
この辺に、野山獄跡と、それに向かい合って岩倉獄跡があった。野山獄には士族が、岩倉獄には平民が投獄されたそうな。ということは、吉田松陰は野山獄に投獄されたのです。
とりあえず、田町商店街の方に向かって、ぶらぶら歩きました。商店街の北側は、少し前は歓楽街として栄えていたようである。商店街は、普段人がいないけれど、さすがに年末なだけあって、店もそこそこ開いていて、人もある程度見かけられました。
続いて、堀川沿いを歩いて、萩博物館を目指しました。
萩博物館は、大野毛利家の邸跡につくられたばかりの、新しい博物館。
でも、新しいものは、古く洗練された堀内の町並みには、ちょっと似合ってなかったかも。まぁ月日がたつとなじんでくるのでしょう。
展示のなかで気になったのは、外堀を狭くしてつくられた町人の町、南方河町と北方河町の発掘作業。当時の町人の生活が感じられました。
博物館を出ると、北の総門(復元)を見て、そのあと旧久保田家に入った。立派な邸である。襖の上の、切り抜きのデザインに、屋久杉が使われてあったり。特別に、二階の使用人控え部屋に上がらせてもらったりもしました。
そして、口羽家住宅までまわって、鍵曲や旧明倫館跡に行きました。ここにあった旧明倫館は、当時防長でも最高学府だったそうです。
そして、最後、平安橋へ行きました。平安橋は、萩城へ通じる最古の橋で、昔の雰囲気を味わうことができます。
今回、萩を東から西へ行き、また東へと戻るルートで歩いたのですが、僕個人としては、東のほうよりも、堀内の方の町並みが好きだと感じました。堀内のあたりの風情は、日本でも萩にしかなく、しかも落ち着いていて、気品があって、景観の破壊要素やマンションなどの異様な建物が少ないからです。きっと、駅や商業地区から遠く、開発が進まないからでしょう。ぜひ、これからもこの美しい空間を保ってほしいと思います。
今日買った「萩ものしり博士検定問題集」で早速知ったのですが、国の「重要伝統的建造物群保存地区」が日本で一番多い町は京都で4つ。そして二番目は人口5万人の、この萩の3つらしいです。これだから、萩という町は、町並み好きにはたまりません。
最近、萩が気になってきていたので、久しぶりに歩き回ってみて、すごく楽しかったです!
まず、行きつけのお店で、カプチーノ(カカオ)を飲み、トーストを食べる。
その後、田床山へ。今はあまり見られないアカマツ(山口県木に指定されている)がすごくよく残っている。そして、見晴らしがとってもよかったです。
萩の見晴らしとしては、指月山(萩城跡)にのぼったことがあるのですが、指月山は、木が視界をさえぎってしまって、せっかくのぼったのに残念だったのに対し、田床山の方は、萩の町や周辺の山々、そして日本海、島々などすべて見えて、すばらしかったです。
そのあと、浜崎にある御船蔵(屋根がある御船蔵としては日本唯一)を起点として、浜崎を歩き始めました。
萩というと、城下町・武家屋敷というイメージが強いですが、浜崎は町人の町また港町として重要伝統的建造物群保存地区に指定されているのです。というわけで、萩の別の顔が見えそうなので、前から行ってみたかった場所だったのです。
行ってみると、日本海沿いの小さな港町という感じでした。たとえば、僕が行ったことある町で言えば、 山口県長門市仙崎や、兵庫県香美町香住のような風情。特に、海上安全の住吉大社とか、日本海側各地にあるのでしょうね。
松本川の河口はすごく印象に残りました。色が緑色なんですよね。そして海は群青色。切り立つ崖。なんかこれこそ冬の晴れた日本海という感じでよいです。
そして、松本川沿いの港町の風景も、すごく漁村の味があってよかった。中でも「鶴江の渡し」は、よい風情をかもし出しています。
<鶴江の渡し>

そして、寺町のほうに向かった。寺町って、いろんな城下町にあるけど、なかなか観光しにくいです。寺が一帯にいっぱいあるだけで、一つ一つのお寺には入りづらい。
この辺に、野山獄跡と、それに向かい合って岩倉獄跡があった。野山獄には士族が、岩倉獄には平民が投獄されたそうな。ということは、吉田松陰は野山獄に投獄されたのです。
とりあえず、田町商店街の方に向かって、ぶらぶら歩きました。商店街の北側は、少し前は歓楽街として栄えていたようである。商店街は、普段人がいないけれど、さすがに年末なだけあって、店もそこそこ開いていて、人もある程度見かけられました。
続いて、堀川沿いを歩いて、萩博物館を目指しました。
萩博物館は、大野毛利家の邸跡につくられたばかりの、新しい博物館。
でも、新しいものは、古く洗練された堀内の町並みには、ちょっと似合ってなかったかも。まぁ月日がたつとなじんでくるのでしょう。
展示のなかで気になったのは、外堀を狭くしてつくられた町人の町、南方河町と北方河町の発掘作業。当時の町人の生活が感じられました。
博物館を出ると、北の総門(復元)を見て、そのあと旧久保田家に入った。立派な邸である。襖の上の、切り抜きのデザインに、屋久杉が使われてあったり。特別に、二階の使用人控え部屋に上がらせてもらったりもしました。
そして、口羽家住宅までまわって、鍵曲や旧明倫館跡に行きました。ここにあった旧明倫館は、当時防長でも最高学府だったそうです。
そして、最後、平安橋へ行きました。平安橋は、萩城へ通じる最古の橋で、昔の雰囲気を味わうことができます。
今回、萩を東から西へ行き、また東へと戻るルートで歩いたのですが、僕個人としては、東のほうよりも、堀内の方の町並みが好きだと感じました。堀内のあたりの風情は、日本でも萩にしかなく、しかも落ち着いていて、気品があって、景観の破壊要素やマンションなどの異様な建物が少ないからです。きっと、駅や商業地区から遠く、開発が進まないからでしょう。ぜひ、これからもこの美しい空間を保ってほしいと思います。
今日買った「萩ものしり博士検定問題集」で早速知ったのですが、国の「重要伝統的建造物群保存地区」が日本で一番多い町は京都で4つ。そして二番目は人口5万人の、この萩の3つらしいです。これだから、萩という町は、町並み好きにはたまりません。